近代百貨店の誕生 三越呉服店

5月11日、江戸東京博物館に行ってきました。
今回はデパートの歴史です。

日本人は昔みんな着物を着ていましたので、それらを買うのは呉服屋さんでしたね。
鎖国と呼ばれていた時代も一部貿易をしていましたので、西洋文化を着物に取り入れて楽しんでいました。
鎖国の目的はキリスト教の禁止と言われますが、近年では「鎖国」はなかったとする見方が主流だそうです。
当時東北アジア諸国はどこも外交の制限をしていましたので、日本だけが特別ではなかったとか。

でも色んな国から船がやってきて、もっと外交しようぜ!と迫られても、日本は片っ端から断っていたらしいです。
そこへアメリカから黒船に乗ってペリーさんがやってきて、開港を迫り、日米和親条約が締結されました。

スクリーンショット 2016-05-13 4.11.46

しかし当時は幕府に対して抵抗勢力が生まれていて、明治維新が起こります。西郷どんや坂本龍馬ですね。
そして明治新政府が出来上がると、日本は西洋化されていきます。

当時の政府を悪者に仕立てあげ、裏で欧米が反政府軍に加担し武器を調達、明治維新を起こさせ西洋化させたというのが最近の定説。
日本を西洋化することで植民地にしたと言われています。

「日本は鎖国したままの方が良かった。それでもちょんまげ結ったままきっとiPhone持ってたぜ」と言ったある著名人の言葉が好きです。笑
ね、どうなってたでしょうね。

まぁそんな流れがあって、国交が盛んになり、日本は外国での博覧会に参加するようになり、浮世絵なども広く紹介されるようになりました。
そして日本でも博覧会が開かれるようになります。

k201603_1a
<内国勧業博覧会之図 小林清親/画> 明治10年(1877) 東京都江戸東京博物館所蔵

その博覧会の残り物を販売していた勧工場(かんこうば)というのがデパートの前身と言われます。
今のアウトレット・モールのようなものだったそうな。

新橋に開業した博品館勧工場は、レンガ作りの三階建てで、モスク風の鐘楼付きの時計塔が設置されたモダンな建物、観光名所でもあったようです。

kankouba1

スクリーンショット 2016-05-13 5.33.12
名古屋栄町の勧工場(栄町中央バザー)
スクリーンショット 2016-05-13 5.33.47
名古屋栄町の勧工場(栄町中央バザー)

この頃から座敷の接客スタイルから、陳列式に変わりました。
そして三井呉服店も陳列式に変え、人々の生活習慣も西洋化していきます。
三井呉服店の屋号は「越後屋」です。悪者の代名詞ですね。笑

 

k201603_2a
<三井呉服店陳列場・店先の図>明治29年(1896) 東京都江戸東京博物館所蔵

下が座敷スタイルで、上が陳列式。

k201603_2bb
<東京自慢名物絵 駿河町三井呉服店 豊原国周/画> 明治29年(1896) 東京都江戸東京博物館所蔵

ポスターは当時のファッションリーダーを美人画として描きました。

百貨店は1852年フランス、パリのボン・マルシェが始まりとされています。

marche
ボン・マルシェ

そして日本では、明治37年(1904年)に三井呉服店が「デパイトメントストア宣言」をし、三越百貨店を立ち上げました。そしてほぼ同時期に高島屋、松坂屋などが開業され、勧工場は圧倒されていきます。

宣言というのは面白いですが、映画館や新聞などでニュースを知った時代です。
それがきっとコマーシャルだったのでしょう。
ディズニーランドやスカイツリーも建設が決まった当初からお祭り騒ぎしてましたよね。

当時百貨店では、多くの博覧会や展示会を催し、絵画や彫刻を取り扱う美術館としての役割も果たし、流行の発信源でした。

k201603_3a
<大東京 三越呉服店本店新館開店 絵葉書> 大正3年(1914)東京都江戸東京博物館蔵

創業当時の建物は、関東大震災や東京大空襲などにより再建されることになりますが、歴史を知ると人間のたくましさを知ることにもなりますね。
大きな災害を免れて残るアンティークも特別な存在です。

k201603_3b
<第1回児童博覧会記念絵葉書> 明治42年(1909)東京都江戸東京博物館所蔵
k201603_4a
<三越呉服店ポスター 杉浦非水/画> 大正4年(1915)東京都江戸東京博物館所蔵

白黒写真を着色したもの、アールヌーボーやアールデコのデザインが施されたものなど、和洋折衷の絵ハガキやポスターはとても魅力的で、浮世絵は消えることになりました。

モダン・ボーイやモダン・ガールがお洒落とダンスに熱狂し、ガス灯やハイカラさん、レンガ作りや石造りの建築、デザインなど、古い本からこの時代を知り、学生の私にたくさん影響を与え、デザインの世界に進むきっかけを作ってくれました。
自分の歴史を感じながら、改めて和洋折衷の始まりを見ることが出来、原点に戻ったような気分です。

アールヌーボー(19世紀末)とは、「新しい芸術を」をテーマに、植物や昆虫など有機的なモチーフに見られる滑らかで洗練された美しいデザインが特徴で、ミュシャ、エミール・ガレ、アントニオ・ガウディ、クリムトなどが有名です。
一点物が多く一般庶民には手が出なかったそうです。
そして、葛飾北斎など日本の浮世絵は、彼らに多くのインスピレーションを与えました。
現在はアニメーションがその役割を果たしていますね。

アールデコ(1910頃から20世紀)とは、「生活の中に芸術を」をテーマにアールヌーボーとは逆に、シャープでキレのある水平線や垂直線、幾何学な固い曲線がデザインに多様されています。
大量生産との調和を計り、建築や工業製品となる車やインテリアなどが一般に広く普及しました。
フランク・ロイド・ライト、アドルフ・ムーロン・カッサンドル、チャールズ・レニー・マッキントッシュ。そしてココ・シャネル、コルセットからの解放です!

この2つどちらも正反対の美術運動でありますが、アートよりもデザイン要素が強く、両方好きという方が多いはず。
創業当時の百貨店はまだまだ上流階級の楽しみであったでしょうが、こういった背景にある美術運動によって、洗練されたデザインの安価な商品が庶民の手にも届くようになりました。

現在も、パソコンに始まりインターネットが世界を繋げ、誰もが携帯電話を持ち、スマートフォンの出現でパソコンを持ち歩く時代になりました。
このIT社会が時代に刻まれて行きますね。
ちなみにITとは、インターネットなどの通信とコンピュータとを駆使する情報技術のことで、Information Technologyの略です。
ちゃんと我々は歴史に残る大きな時代を生きています。

そして温故知新しながら、時代を意識していくと面白いものが見えてきます。
西洋化された日本ですから、いくら背伸びしたところで今後も欧米には叶わないと思います。
私たちは今もまんまと洗脳されているのかもしれません。

日本のことを見直して、和の文化を再確認すると、我々は大きな財産を持っていたことが分かります。
だから the Nippon は知ってから、誇らしい気持ちになり、外人恐怖症だった私が片言の英語で対等に外国人と話せるようになりました。
英語を勉強している方には、ご自身の興味のある日本を再確認することをおすすめします。

そしてこのまま日本が欧米化し過ぎないで、和洋折衷の微妙なバランスを楽しむ洒落の効いた粋な文化であって欲しいなぁと思います。

 

常設展示も楽しいです。
展示も広々として充実度があり、お客さまは修学旅行の学生達と外人さんが7割といったところ。
お相撲さんを横目に楽しい場所です。

 

Y氏は暇人というサイトも見つけました。展示会で見たようなカードがたくさんあります。

当時の様子が伺い知れる文化歴史資料館・郷土誌料研究所の写真も覗いてみて下さい。

 

 

 

広告